登山と酒にまつわる覚書き

夏の雌阿寒岳で

やまときは今年で30歳を迎えました。アニバーサリーです。実は、30歳になるとほぼ同時に酒を飲むことをやめました。

お酒は好きでした。XX歳の時からよく飲んでいたし、山泊の時は間違いなくアルコール飲料を持っていきました。山の上で飲む酒って、めちゃくちゃ効くんですよね。でも、30歳になり、子供が生まれてから、自分のための時間を確保できなくなってきました。やりたいことはたくさんあるけれど、やらなければならないことも同じくらい増えました。人生の優先順位を考え、ついに自分の人生の一部を諦める時がきたなと感じました。そこで「酒を飲むこと」が自然と失われました。未練は全くありません。本当に自分は酒が好きだったのか、あるいは単に酒を飲んでいる自分自身に酔っていただけなのか、自問するところです。”三十にして立つ”と言うけれど、これが大人になると言うことなのかもしれない。

ちょっと話は変わるけど、「登山と酒」についての持論を述べる。

登山者全般、特に遭難事故を起こす登山者に対して、社会からの強い非難があります。「自己責任だ」「無謀な行動は避けるべきだ」「他人に迷惑をかけるな」などの声があります。「税金で登山者を救助するな」という一段と厳しい意見もありますが、これらの主張はそのまま「飲酒」にも当てはまります。飲酒で体調不良に陥っても自己責任ですし、大病や事故につながることもあります。喧嘩や飲酒運転も社会問題です。それでも飲酒を理由に救急車の利用が制限されたり、医師が治療を拒否することはないでしょう。したがって、登山者への非難があるなら、同様に飲酒者にも非難が及ぶべきだというのが自分の考えです。一方で、飲酒の自由を認めるなら、登山する自由も当然認められるべきです。現在の日本の法律は各個人の自由を尊重しているので、登山も飲酒も自由であるべきです。(極論、個人の自由を制限していけば、あの国のような独裁国が出来上がります。それでいいのでしょうか。)

登山者はリスクを認識し、その可能性を受け入れています。同様に、飲酒者も自身の行動が病気や怪我、命を危険にさらす可能性を認識し、その責任を受け入れるべきだと考えます。これは登山や飲酒に限らず、あらゆる趣味に共通して言えることかもしれません。責任ある態度とはなんなのか、非難する前に自問することが重要です。

(chatGPT3.5で添削)

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