戸蔦別岳

戸蔦別岳山頂にて。岳友たちと。

戸蔦別Bカール。素晴らしい、一本だった。

華々しい夢のようなGW山行であったが、これを滑るために払った代償は大きかった。。。

昨年の台風被害が色濃く残る戸蔦別林道。去年まではエサオマンの入山口まで車でいけたのだが、こんな感じでアスレチックしなければならない林道が片道20キロ追加された。

極めつけはこの戸蔦別川橋の跡。入山時は苦労したものの無事に渡渉できた。だが下山時には、雪解け水により5割増しで増水していた。正直油断していた。「入山時に渡れたのだから行けるべ」と。4人パーティーの1人目は無事に渡渉できたのだが、2番手で渡渉しようとした時に、やってしまった。一歩一歩川底に近くにつれて水流に逆らうことができなくなり、ついに流されてしまった。その距離は100m以上。

水の中では成す術なく、ゴミのようにただ下流に運ばれるだけだった。息を保つために必死でもがいてみたが、あっという間に水の中に引き戻された。手足が不自由なので、ザックを煩わしく感じた。バックルを外してザックを脱ぎ捨てようとしたが、「ザックが唯一の浮力体」だという宮城公博の言葉を思い出し、ザックを捉えていた左腕に力を込めた。しかし、徐々に腕の感覚がなくなり「ついに、この日がやってきたか」と死を覚悟した時、頭上の岩にザックが引っかかり、水の中から脱出することができた。

脱出直後は息を整えるので精一杯だった。左腕に絡みついていたザックを引き離すと、装備のいくつかが失くなっていることに気がついた。だがそれ以上に、身体のことが心配だ。両手両足を見るに打撲でアザだらけだ。しかも、興奮状態でまだ痛みを感じていなかった。「自分は動けるのか?」と気になりだした。どす黒くなった両手をグーパーして見ると、筋肉が硬直してぎこちないがなんとか動けそうだ。

水を吸って重たくなったザックを背負い、笹を掴んで林道まで這い上がった。全身ボロボロだったが、ここまでは頭は冷静で、身体の動作は非常にスムーズだった。後輩が走って近づいてきて、マットやシュラフを出して介抱してくれた。ジェットボイルで沸かしたココアを飲むと息は落ち着いた。だが頭がぼーっとして、何かを考えることができなくなった。およそ2時間ほどその場で座っていた。

ようやく身体が落ち着いたので、ザックを背負い歩き始めた。まだ渡渉が済んでいない後輩2名と合流しなければならない。林道を下りながら渡渉点を探るが、なかなか二人を見つけられずに戸蔦別ヒュッテに着いてしまった。万策尽きたかと思った時、対岸を歩くスキーを背負った後輩を見つけた。丁度いい渡渉場所が見つからず、ここまできてしまったようだ。

しばし作戦会議の末、ヒュッテ上流の中洲があるところから渡渉することにした。また、たまたま居合わせた東京からの登山者からロープを借りることができた。木をアンカーにして、一人ずつ確保しながら渡渉させた。体力気力ともにボロボロになった4名は、その日は戸蔦別ヒュッテに泊まり、翌朝無事に下山した。

「渡渉は危険」ということは知識ではわかってはいたが、それがどうして危険なのか正しく認識できていなかった。今まで、渡渉を怖いと思ったことはなかったが、今後は渡渉をするたびに今回のことを思い出してしまうだろう。山スキーヤーの魂ウィペット2本を含めていくつか装備を失ってしまった。そして、未だにiPhoneの電源は入らない。失ったものは多いがそれ以上に、貴重な経験を積むことができた。この経験を生かすことができれば、渡渉を正しく怖がり慎重に判断することができるはずだ。命があれば、何度でもやり直せる。九死に一生を得たからには、この命を有効に使う責任がある。

しかし、両手両足はアザだらけで、くしゃみをすれば腰に激痛が走る。しばらく山はお休みしよう。回復したら、アポイ岳あたりでリハビリしたい。こんな感じで、2016-17のスキーは終わりだ。有終の美を飾ることはできなかったが、クヨクヨしてもしょうがない。今は焦らずに回復に徹しよう。まずは、チャリに乗れるようになりたい。そして、夏には沢が待っている。行きたいところは沢ほどあるんだから。